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3月20日 (日)
深夜便、フランクフルト経由でウィーンへ行くために羽田空港へ、2年ぶりの羽田空港は深夜便ともあって閑散としていました。
搭乗券を手にして大きなトランクを預けていると、アナウンスと共にANAのカウンターが急に慌ただしくなりました! 何と、フランクフルト空港でストライキが始まり、私は乗り継ぎが出来ないとのことです。一瞬茫然としてしまいました・・・。
ここまで準備するのも大変だったのに、この先どうなってしまうのだろう? 我にかえり、ウィーンと連絡を取りながらいくつかの選択肢を検討しました。
結果、ストライキが終わることを待って再フライトをすることにしました。ウィーンまでの道のりのハードルの高さをしみじみ感じ、夜明けの羽田空港をあとにしました。
4日遅れで、ANAの担当者と相談して成田発ベルギー(ブリュッセル)経由で、ウィーンに行くことが決まりました。今はフライト便が制限されていてANAでは一番早くウィーンに到着出来る情報でした。
フライト時間は19時間、自宅を出てからウィーンのアパートまで約24時間かかりました。2年前、コロナ発生で急いでウィーンのアパートを出て帰国、内心は直ぐにまた戻れると思っていた私でした。大家さんがお掃除の方を入れてくださいましたが、お部屋は全てがそのままになっていてタイムスリップしたような感じでした。
でも、お会いする方々とは、懐かしいと言うよりも前にも増して親しく嬉しい再会になりました。
明日からはコンサートの度にPCR検査、コンサートに関わる司会、伴奏者も陰性でなければならないので結果がハラハラドキドキです。

3月21日 (月)
朝夕は冷え込みますが、日中は初夏を思わせ20℃以上あります。あたりはピンクや黄色の花、スミレが美しくウィーンの春です。
日本では未だ接種したことのなPCR検査を受けました。場所は近くの区役所で、私は喉をぬぐう方法です。陽性だとポジティブ、陰性だとネガティブとの判定です。「ネガティブを願ってポジティブに考える?」日本語にすると何だか面白いです。

3月22日 (火)
最初のコンサートは、府中と友好都市である17区Alszeileでのコンサートでした。ハラハラドキドキで結果待ちしていたPCR検査も陰性で安心しました。
いざ心待ちにしていたステージに立つと、込み上げてくる様々な思いは、歌うことよりも強くなり過ぎている自分に気がつき、経験をしたことがない感覚で歌っていました。
「貴女は日本人だけれど、ウィーン人!」と声をかけられたことが嬉しかったです。

3月23日 (水)
7区のNeubarは、ステージに既にソーシャルのスクリーンが設営されていていました。透明感が高く会場と一体化しているように感じましたが、客席からステージを見ると、やはり遮断されている光景には致し方無いと思いました。スクリーンから見えるお客さまの優しい笑顔に張り切ってしまいました。
会場入りをして荷物を置く部屋の扉を開けた時・・・私が公認広報しているウィーン市営Cobenzlワインたちが大勢で出迎えてくれてビックリ!イースターのイヴェントに備えているそうです。

3月24日 (木)
19区のFortunaは、レストランスタイルだったので、お客さまはマスクをされず、私がマスクをして歌うことになりました。1日約5万人のコロナ感染者が出るので会場責任者の対応に従います。どこの会場もお客さまたちに歓迎された中で歌えていることに感無量になります。少しずつ忘れていた歌う喜びを思い出しています。

3月25日 (金)
オーストリアは地域によってコロナの対策は異なっているそうですが、乗り物、店内ではマスク(FFP2マスク)が基本必要です。その他は外しても良いそうでPCR検査で防いでいるのだと認識しています。日本とは違うので不安や疑問を感じることが有りますが、自分の身を守る私流の?感染防止策でウィーン滞在を最後まで元気に過ごしたいと思います。久しぶりに地下鉄に乗りました!ウィーンに居る自分が信じられないと何度も思いながら車窓を見つめていました。

3月26日 (土)
ワインに関心を持つ私を、ニーダーエスターライヒ州(Nieder?sterreich)、SOOSS(ソース)と言うワイン街道が有る街へご招待して頂きました。この2年ワインに関して俄か勉強をしていますが、オーストリアワインを資料で確かめてきたことを実際に体験できたことは貴重で感謝しています。何よりも久しぶりの解放感に良い思い出になりました。穏やかなぶどう畑が広がるホイリゲ店の中で、神奈川出身のオーナー夫人を紹介して頂きました。オーストリアワインがより身近に感じたひと時でした。

3月27日 (日)
マネージャーさんから「来週火曜日のコンサートは、会場スタッフにコロナ感染者が出たのでキャンセルです」と、連絡が入りました。・・・仕方ないと思っても残念な気持ちです。
日本の桜の開花を知らせてくださる方々のメッセージを見て、心を癒していました。アパートの中庭にも桜の木が有り愛らしい桃色の花をつけています。
3月28日 (月)
今週はコンサートが中止、延期になってしまい過ごし方を改めて計画しています。
アパートから徒歩で行かれる「シェーンブルン宮殿」に行きました。美しい泉という意味でマリアテレジアが愛したバロック様式の夏の宮殿です。建物と庭園をゆっくり見学したら一日がかりになると思います。何度も数えきれないほど訪れた場所ですが、初心を思い出して、古いガイドブックを持参して気の向くまま、足の向くまま、たくさんの楽しい思い出を振り返りながら散策しました。
3月29日 (火)
朝、友人からお誘いの連絡をもらいドナウ河のほとりを散策しました。心地よく、ドナウからの優しい風にしばし癒されていました。
もう三年近く帰国も出来ない友人は、この間でお父さまが亡くなったそうで、未だ手を合わすことも出来ていないと静かに話してくれました。コロナでどれだけの人たちの命、心の傷を負わせて幸せを奪っているかと思うと許せないです。ウクライナのことも、世界のこの厳しい現状から今は何が必要かと熱くなってしまい気がつけば真剣に話し合っていました。

3月30日 (水)
急にお豆腐が食べたくなってしまい、ちょうど調べたいことも有ったので、地下鉄に乗ってナッシュマルクト(青空市場)まで行きました。お豆腐はアジアンショップで購入します。平日のせいか観光客も少なく、以前ならば「こんにちは!」「?好!」など声がかかっていましたが静かでした。ウィーンでのんびりと過ごす自分が信じられないこと、
目に入る様々な景色が今までの思い出と自然に重なり合い、これまでの歩んできた道のりと向き合う私です。

3月31日 (木)
朝から晩まで、ずっと雨が降っていました。こんなに一日中降っている日を体験したことが有るかと思うくらいです。本来ならば21区Leopoldauでのコンサートでした。
残念だけれど仕方が無いと自分に言い聞かせても、思い描く懐かしい笑顔が過ります。こんな雨の中では、着物では大変だったとも考えながらお部屋に籠って過ごしました。

4月1日 (金)
ウィーンでレッスンして頂いていたJimmie先生が昨年の初めにお亡くなり、ご挨拶に伺いました。最後まで先生をお世話されていた日本人で声楽家の女性のお話しは伺っていましたが直接お会いするのは初めてのことでした。何と!ウィーンにいらっしゃる前までは現在の私の自宅と近くで、当時はきっとすれ違っていた可能性が多くあることも確認し合い、一気に大盛り上がりになってしまいました。材料が無いのに、こんなに手のこった「おはぎ」を作って待っていてくださったことが嬉しかったです。Jimmie先生がきっと繋いでくださったのだと思います。ウィーン歌曲の楽譜をたくさん頂いてしまいました。・・・自信はないけれど、もう少し歌手を頑張って続けたいと心がつぶやいているのが聞こえました。

4月2日 (土)
日曜日はスーパーマーケット、小売店がお休みなので、土曜日はスーパーマーケットに足が向いてしまいます。オーストリアワインに関心を持ってから、ワインが並んでいると目にと止まりラベルを確認したくなる行動は2年前には無かったことです。
今日は大きなブロッコリーと芽キャベツ、チーズを買いました。アパートに戻りブロッコリーを茹でていると雪が降り出していました。早く買い物に行って良かった!

4月3日 (日)
目を覚ますと昨夜の雪が残り、日差しは有るのに雨が降っています・・・4月のお天気は気ままだと言われていますがビックリしてしまいました。
日曜日ですがリモートとワイン輸入の事前打ち合わせです。元気に楽しくお仕事が出来ることを何よりも嬉しく幸せに感謝する私です。
コロナ感染対策が今月から少し緩和されて、今のところ今週は順調に開催できそうです。

4月4日 (月)
コンサート前48時間以内にPCR検査をして、会場に入る時に3回ワクチン証明を提出して、再び簡単な検査をして陰性(ネガティブ)であれば歌うことが出来ます。
今日からPCR検査の場所が市役所から駅前の簡易の場所になりました。私は無料で検査が出来て携帯電話の画面に結果が報告されます。少し面倒であっても気軽に検査できるのは心強いことですね。

4月5日 (火)
コンサートが再開されました。2区Augartenでは、皆さんが笑顔で待っていてくださり嬉しいです。この数日、目が痒くて鼻水が出て、喉がイガイガして・・・花粉症なのでしょうか? それとも4月のお天気は変わり易いので気候のせい? まさかコロナじゃないと思うけれど! 「日本に居たら直ぐにお医者さまのところに飛んでいくのに」 と、少し不安に思いながら持参したお薬を服用して症状が治まるのを待つことにしました。

4月6日 (水)
東京の世田谷区と交流を持つ19区、コンサート会場のお隣は「世田谷パーク」です。
今日は開門されているとのことで、少し早めに到着して見学しました。「ここは日本?」と思うくらい立派な日本庭園に多くの方々がいらしていました。
Hohe Warte の会場は10年以上前からコンサートをしているのに、園内は初めて訪れました。「さくらさくら」の歌がとても栄えた春のコンサートでした。

4月7日 (木)
イースター(復活祭)前で、至るところで卵やうさぎのオブジェを見かけ、4区Wiedenのステージでも可愛いステージにアレンジされていました。
コンサートが終わってから司会者、伴奏者とお茶をしました。この2年間の様々な思いを静かに話し合いながら改めて「コロナ」が許せなく思いました。何でこんな世の中になってしまったのだろう・・・

4月8日 (金)
今週は奇跡的に順調にコンサートが出来ました! 予報は雨でしたが少し時間がずれて傘が無くても移動が出来ました。3区Maria Jacobiではお誕生日の女性がいらして、お誕生日の歌を歌ってお祝いをしました。リズミカルな歌には手拍子も出て更に楽しいコンサートになりました。お客さまも参加して楽しめるコンサートを広めていきたいです。イースターのオブジェ、この時期のスイーツ「クラプフェン」は、日本で例えると「おはぎ」、「クラプフェン」はドーナツの中に杏子ジャムが入っています。

4月9日 (土)
このウィーンの居心地よいアパートにはもう10年以上お世話になっています。
思いきって整理しようと3月に来た早々から片づけを始めました。日本から持って来た荷物のひとつずつは重さを気にしながら大切に持って来たので思い出が有ります。
「そろそろウィーンに来ることは難しいのかな・・・」と思いながら、手を動かしていましたが、数日前から「もう少し頑張れるかも知れない?」と思い直している自分に気がついていました。整理した品をもう一度さりげなく棚に戻している私です。

4月10日 (日)
おしゃべりコンサートin台湾」の実行委員の皆さんとオンラインミーティングをしました。今年も秋の訪台は、残念ですが見送ることにしました。昨今、台湾でのコロナ感染者が増加傾向で、台湾入国後の隔離も2週間ほど必要なので活動は困難です。
午後は先輩のソプラノ歌手の方とゆっくりお話ししました。音楽、声のことについて対面で話し合えたのは久しぶりのことで勉強になりました。

4月11日 (月)
日本ならば郵便局の用事は、何でも無いことなのに半日がかりになってしまいます。
質問されたら困らないように場面を考え予めドイツ語で準備して書いておくのですが、準備万端な時に限って何も聞かれないで済んでしまうのです。今日は順調に出来たので満足感も有りました。気分が良くなって少し離れたところまでパンを買いに行きました。2年前よりもパンの値段が高くなっていることに気がつきました。

4月12日 (火)
ウィーンでお世話になっているダンスの先生とお会いしました。つい最近、ご主人が亡くなられてお花をお届けしていました。「人が生きた証は太陽と共に沈んでいくけれど、美しい思い出は星になっていつまでも輝いているのよ」と話されていました。
伝統の大きな「アプフェルシュトゥルーデル(アップルパイ)」を頂きながら、オーストリアの4大ワインの産地、シュターヤーマルクのワインのことを詳しく説明してくださいました。夜空にはキラキラとした星が見え隠れしていました。

4月13日 (水)
午前中はコンサートのためのPCRテスト、そして午後から日本へ輸入しているウィーン市営Cobenzlワイナリーでの会議のために出掛けました。スタッフの方々が笑顔で出迎えてくださって嬉しかったです。難しい問題も有りますが充実した内容は近い将来に更に繋がる節目になりました。日本の皆さまにウィーンのワインを紹介することに誇りを持って更なる活動をしていきたいです。帰りがけ、通訳のドーリさんと旬の白アスパラを頂きながら会議の成功を祝って乾杯しました。

4月14日 (木)
14区Penzingはイースターのコンサートでした。お客さまもたくさんいらっしゃってくださり、和やかな気持ちの良い雰囲気の中で私も楽しく歌うことが出来ました。ウィーン在住の先輩ソプラノ歌手の方も聴きに来てくださって嬉しかったです。
終わると、イースターのプレートが用意されていました!そしてワインはCobenzl、またもや私が関わるワインたちに出迎えられた最高の日になりました。

4月15日 (金)
早くも4月も中旬になってしまいました。朝から雨が降り、雷も鳴っています。
ウィーンに来て約ひと月、今までとは少し違う貴重な滞在で思いふけることも多いです。亡くなったJimmie先生の生前の資料を読んでいます。『世に出て多くの人たちと出会うだろう。非常に多くの・・・運があればその中で「本当の人間」というものに出会うだろう。この「本当の人間である」という言葉に値する人は世の中に少ない』
私は恵まれて尊敬する素敵な方々との出会いが多く有り感謝しています。なので、自身もそう思われるようにたくさん努力したいと思いました。

4月16日 (土)
イースターで街行く人たちはお花、ワインを紙袋に入れて移動する人たちを見かけました。Volks Oper(フォルクスオーパー)国民歌劇場でオペレッタ「Die Fredermaus こうもり」を観ました。親子で観劇している様子も多く、子供たちはお行儀よく時々笑い声も聞こえウィーンらしさを感じました。有名な音楽に軽く身体でリズムをとる人たちと共に私も思わずのってしまいました。オペレッタならでの華やかで和やかな楽しい雰囲気を久しぶりに感動しました。

4月17日 (日)
とんでも無いことが起きてしまいました! Wi-Fiルーターが壊れてしまい、インターネットに繋ぐことが出来なくなってしまいました。少し慌てて携帯の国際電話を使って、ウィーンの知人たちに祭日の朝から相談をしてしまいました。イースターなので明日もお店は全てお休み、日本ならば祭日でもどこかのお店は空いているのに、そして火曜日はコンサートなのでモバイルショップには行かれないので困り不安に感じていました。知人たちは親身に対応を考えてくれました。 ・・・すると、貸してくださると言って私のアパートまで届けてくださって・・・ 有難くて涙が出そうになり本当に助かりました。

4月18日 (月)
気温は4℃、またもや冬の季節に戻ってしまったような朝でした。
明日はコンサートなのでPCR検査に出掛けました。オーストリアはイースターが終わると感染予防がまた少し緩和され、場所によってはワクチン接種の証明書提示が無くなるようです。日本はどうなっているのかと気になってネット検索をしてみました。ネットに頼ることもどうかと思いますが通じて本当に良かったです。

4月19日 (火)
冷たい雨が降る冬に逆戻りしてしまった、イースター明けの14区Gustav Klimtのコンサートでした。ご来場くださった方を感染予防のためにお断りをすることになったと聞き心が痛くなりました。コンサートは和やかで途中でワルツのリズムに踊り出される方々や、日本歌曲も歌われていたと言うガブリエさんは涙を浮かべて喜んでくださいました。とても嬉しく感謝の気持ちいっぱいの千秋楽のコンサートになりました。
今年は9回しか出来ませんでした・・・予定の半分、イベントの出演も控え、スロバキアにも行かないことにしたので通年の3割ほどの回数になります。でも「歌えたこと」に多くの勇気を与えて頂き、来年にきっと繋がるためのコンサートだったと思いました。帰りは雨も止み明るい空も見えていました。

4月20日 (水)
郵便局から出した葉書が戻って来た理由を聞きに、いつまでもWi-Fiルーターを友人から借りている訳にはいかないので買い求めるために出掛けました。
昨夜から今日の午前にかけて、言いたいこと、聞かれそうな答えを全て書き出しドイツ語にして、郵便のレシートや壊れたルーターの部品を何度も確認し勇んで? アパートを出たのに地下鉄に乗って2つ目の駅で忘れ物に気がつき逆戻り! その後は、心配をよそに係りの方々に親切にしてもらえて全て上手くいきました。日本に居たら何でも無いことなのに、言葉の壁は高く習慣も知らないので大仕事でした。

4月21日 (木)
コンサートが終わり、イベント出演、スロバキアにも行かないことにしたので、飛行機の空席が有れば帰国できるはずですが・・・入国、航路上の問題、何よりもフライト便が少なく、変更するならば現在のチケットをキャンセルし買い直しとなり、新規の近日便だと50万円ほどになってしまいます。ここはあまり考えずにANAに委ねて予定通り5月1日ウィーンを出発して翌日2日に羽田到着で帰国します。もう暫く滞在して、しっかり勉強したいと思います。

4月22日 (金)
友人からお借りしていたWi-Fiルーターのお礼に、少しご馳走を作って私のアパートへお招きしました。ウィーンで買える食材で「焼売」が出来そうなのでチャレンジしてみました! アジアンショップで買った皮が大き過ぎてビック焼売になってしまったのですが、何とか上手く出来ました。白いご飯と一緒だったらもっと美味しかっただろうなぁ~と思いました。音楽、ワインのことで話題が広がり和やかな楽しい時間を過ごすことが出来ました。

4月23日 (土)
今回もコンサートの伴奏をしてくださったピアニストと仲良しのお友達とで、コンサートの打ち上げをしました。9回のコンサートは思い返すと色々とあり過ぎて話題は尽きなかったです。日本からウィーンに来て、コンサートを開催したことが奇跡で前に進む1歩になれば嬉しいことです。こんなにリラックスしで週末を過ごせることは素敵です。時間より早く、思いや行動が焦ってしまいがちの私に、穏やかな時間と一緒に過ごせることは心地良いと感じています。

4月24日 (日)
滞在期間に、もうひとつくらいオペラを観たいと思い「フィガロの結婚」を前回と同じフォルクスオーパーに行きました。午前中はのんびりして、お昼過ぎにチケットを買いに行き、一度アパートに戻って身なりを整えて夜に出掛ける予定が! 何と今日は4時半からの公演でした。思い込みというのはこういう時に失敗してしまうものです。仕方がないのでそのままチケットを買って普段着のままで観てしまいました。スザンナ役は代役でしたがとても素敵で好感の持てる良い歌手だと思いました。外は雨が降っていて暗くなっていました。

4月25日 (月)
今までのようにパスポートと航空券だけでは帰国できないので、今日から準備を始めます。大使館の方から情報を頂けるので安心ですが、初めてのことばかりで緊張します。日本出国の時も日本語なのに大変だったし、日本入国も更に厳しいと思いました。帰国便も既に何回か変更されていますが、今のところはフランクフルト経由でロシア上空を避け大回りをして羽田到着の予定です。
元気に家に到着するまでが今回の「奇跡のチャレンジ!」なので気を引き締めます。

4月26日 (火)
午前は久しぶりにダンスの会に行き楽しく踊りました。皆さんとの再会は嬉し過ぎて、来年の約束も交わしてしまいました。お天気が良かったので、オーストリアを代表するクリムトの作品が展示されるベルヴェデーレ宮殿に立ち寄り、かれこれ20年以上も親しくおつき合いをしているMedicus先生がいらっしゃる学校へ行きました。「BRG Wien3」と言うウィーン市の芸術学校です。先生はピアノの指導をされていて、2年ぶりの生徒さんたちの発表会に招待されました。自由に表現豊で堂々としていて、会場の拍手も熱いエールを感じ皆が一体となっていることに感動しました。

4月27日 (水)
Jimmie先生のお骨は近いうちにはイギリスに向かわれてしまうと伺っていたので、最後のご挨拶をしました。私がウィーンで歌う「蝶々夫人」のアリアのレッスンを受けていました。今でも歌えているのは先生のおかげですし、良い先輩とのご縁も先生が繋げてくださったと思います。行く道で、ふと何でもないタンポポが咲く空き地を見て「私が幼い時に遊んだ場所とそっくり!」と驚いてしまいました。思わず見とれてしまい立ち止まってしまいました。・・・こんなことって有るのですね。

4月28日 (木)
お世話になっているマネージャーのBrigitteさん、そして大家さんのNeuwirthさんを招いて恒例のランチをしました。早速、もう来年のコンサート予定のことを確認されて、「えっ?」と口がモゴモゴしてしまいドイツ語が浮かびませんでした。このご時世、そしてこの年齢で、来年も歌えるお仕事が有ることは嬉しく感謝の気持ちしか無いです。後先のことも考えず「Ja!Danke」と答えてしまいました。最後にBrigitteさんが「ウィーンは貴女の第二の故郷、私はそのことが嬉しい」と、言ってくださり少し身体を震えて胸が熱くなりました。

4月29日 (金)
帰国に向けてのPCR検査とお医者様からの証明書をもらいに行きました。日本入国の証明書を出してくれるのは限られていて、私は紹介してもらったところは映画「第三の男」で一躍有名になった観覧車が有るプラーターです。コンサートで歌うウィーン歌曲でもプラーターと言う言葉が出てくるので、思わず口ずさんでしまいました。検査の結果は「陰性」なので日本入国が出来ます! 残り僅かになってしまったウィーン滞在・・・寂しいです。

4月30日 (土)
久しぶりのお天気に恵まれ、最終日は小さなパーティーを企画しました。
場所はCobenzlワイナリーです。心が通う方をお誘いしてテラス、ぶどう畑、そしてレストランで楽しく過ごしました。Cobenzlから見渡すウィーン市内は私が大好きな景観で元気になります。気がつくと夜になっていて急いでバスに乗りました。珍しく寝付かれなく、あたりはだんだんと明るく小鳥のさえずる声が聞こえていました。

5月1日 (日)
6週間前に到着した時を思い出しながら身支度を済ませました。見送ってくださる方々とのお別れが寂しく、センチメンタルになってしまい「来年もウィーンに来る!」と何度も自分に言い聞かせていました。
空港に到着すると日本入国を意識して緊張モードに変わりました。帰国はフランクフルト経由で、行きはストライキのために避けた空港です。指示されているゲートで待っていると携帯が鳴りました。「ゲート変更」のお知らせですが周辺の表示は見当たらないので一瞬疑ってしまいましたが、延々と歩きTOKYO HANEDAの表示が目に入り安堵の胸をなでおろしました。書類確認の検査が行われ、記入漏れなどが見つかる方々が多くカウンターは騒々しい中、私は「パーフェクト!」と言われました。やっと機内で席につくと急に力が抜けてヘナヘナしてしまいました。

5月2日 (月)
機内は外国の方々、親子連れが目立ちました。日本入国が緩和されたからでしょうか… 航路地図を見ると、再びウィーン上空、トルコ、北京、広島から羽田に向かっていました。前の席に女の子の可愛い赤ちゃんが、時々シートの隙間から見える笑顔に癒されました。ママは日本人、ずっとドイツ語で会話されていましたが、窓から羽田が見えると「やっと日本! 嬉しい」と聞こえました。
着陸後も機内からはなかなか出られず、PCR検査のため羽田も延々と歩きました。ウィーンで20回ほどPCR検査を受けましたが、日本が一番厳しいように思います。私の結果は早く「隔離制限なし」の判定が出て、着陸から2時間ほどで空港の外に出られて、明るい陽射しに美しいツツジの花が出迎えてくれました。
ウィーンの思い出が、もう遠いおとぎ話にようになっている私の感覚が不思議でした。





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Akiyo


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